引用1
円安の歴史が始まる 今年の円高局面は“小休止”にすぎない 唐鎌大輔
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歴史的な円安局面となった2022~23年を経て、24年の円相場はどうなるのか。本稿執筆時点では能登半島地震の為替見通しへの影響を尋ねられることも多いため、かつて見られた「震災と円高」がなくなってしまったことへの所見を述べた上で、24年に対する概観を改めて示しておきたい。
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なかった「地震後の円買い」
能登半島地震直後の1月1日のブルームバーグでは『短期的に円高に振れる可能性』と題し、震災で「リスクオフの円買い」が促されるというアナリストのコメントが報じられていた。恐らく24年、円相場に関する最初の大きなヘッドラインだったので、目にした市場参加者は多かったと察する。いわゆる「震災で円高」という言説は11年3月11日の東日本大震災時、「日本の損害保険会社が支払いに備えて外貨資産を崩す」という真偽不明の情報があり、その思惑が実際に円高を惹起(じゃっき)したことに由来する部分が大きいと思われる。
だが、11年3月の証券投資統計を投資家部門別に見ても、損害保険会社がそのタイミングで対外証券投資を売り越し(外貨建て資産を処分)していたという動きはなかった。まさに単なる思惑だったわけだが、当時は貿易黒字の累積が多額に上っており、実需の円買いは確かに出やすい状況ではあった。そういう意味では輸出企業由来の「リスクオフの円買い」は出てもおかしくはなかったし、実際に出ていた。
日本は過去10年余りで貿易赤字国としての地位が定着した。貿易収支を07~11年までの5年累積、19~23年までの5年累積(本稿執筆時点では12月分未発表のため4年11カ月分累積)で比較すると、前者が約プラス20兆円であるのに対し、後者は約マイナス33兆円だ(図1)。需給面で見れば、これはもう別の通貨だろう。
「震災で円高」というコメントは、需給環境に対する基礎情報があまりにもアップデートされていないと言わざるを得ない。「震災と円高」については紙幅を要する論点ゆえ、今回はこのあたりにとどめおくが、「リスクオフの円買い」というフレーズは、もはや過去の産物だと筆者は思う。
その上で24年の円相場見通しをどのように検討すべきか。
結論から言えば、筆者の円相場への基本認識は「長期円安局面の小休止」だ。周知の通り、ドル・円相場の歴史は「円高の歴史」であり、それは「デフレの歴史」でもあった。だが、「円高の歴史」においても年単位での円安局面はあった。振り返ってみれば円高局面の方が相対的に長かったので、円高傾向が歴史に刻まれたのである。デフレ状態と整合的に購買力平価(PPP)が円高を示唆し、実勢相場もこれに追随してきたのが1973年以降の約半世紀にわたるドル・円相場の歴史である(図2)。
未来に刻まれる歴史は円安
今後の日本に対し筆者が抱くイメージは、そうした歴史とは真逆の展開だ。今後は「円安の歴史」が始まるという認識の下、時折(恐らくは米連邦準備制度理事会〈FRB〉の政策転換などに合わせて)円高局面がやってくるという心構えを持ちたい。
PPPで実勢相場を捉えきれなくなって10年余りが経過した。11~12年ごろに貿易黒字国ではなくなったことと無関係ではないというのが筆者の仮説だ。今後、円安局面の時間や幅の方が大きくなるのだとすれば、未来に刻まれる歴史は円安になる。
しかし、資本移動が完全に自由化された変動為替相場制度で取引されている以上、一方向での売買が持続するはずもなく、FRBの政策転換はどう考えても影響を持つ。24年はそうした事情で長期円安局面が一旦、息継ぎを許される時間帯というのが筆者の整理である。FRBの政策運営とは無関係に常時、売られる通貨があるとすれば、それは政治・経済的な混乱のさなか、資本流出が止まらない国であり、その状態を通貨危機と呼ぶ。さすがに、今の日本はそこまで追い詰められてはいない。
外貨が取りにくい国
年始のタイミングでは各種メディアを通じて予測が円安派・円高派といった2項対立に仕分けされる。これに従えば、FRBの政策転換に合わせて過去2年の円安が小休止するという予想でも「円高派」ということになってしまう。
しかし、あくまで暦年の区切りだけで、円に対する強気・弱気を仕分けすることに本質的な意味は全くない。特に中長期的な構造分析を主体とする筆者の姿勢にとってはますます合わない。FRBの利下げに伴う円高・ドル安圧力が発生する時期が、たまたま24年1~12月にぶつかるだけの話であり、それをもって円に対する本質的評価が変わるはずもない。
為替の「方向」を決めやすいのは金利の議論だが、「水準」に影響をもたらすのは恐らく需給の議論である。現在、日本が直面する最大の問題は「外貨が取りにくくなっている」という事実だ。その点に関してFRBが利上げしようが、しまいが何の関係もない。
FRBの政策運営の影響は当然大きなものだが、その上で貿易収支の符号(黒字から赤字)に象徴される需給構造の議論も同じくらい考慮されるべきである。そのラフなイメージを示すと表のようになる。24年見通しを作る上での大まかな前提として役立つだろう。22~23年は歴史的な貿易赤字を記録しつつ、日米金利差も著しく拡大するという需給・金利(≒投機)の二正面から円安圧力が強まる局面だった。24年は…
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引用2
日本の株と不動産はなぜこんなに値上がりするのか。それは「半世紀ぶりの実質円安」だから…
日本の株式や不動産の価格上昇が注目を浴びている。とりわけ首都圏の新築マンションの値上がりについては、新聞・テレビなど多くのメディアが集中的に報じており、いま一番ホットな話題の一つと言っていいかもしれない。
財・サービスの価格も上昇しており、総務省が発表した4月の消費者物価指数は、変動の大きい生鮮食品を除く総合ベースで前年同月比3.4%上昇、3か月ぶりに伸び率が拡大した。
こうした動きについてはさまざまな説明が可能だが、筆者としてはまず、資産価格や一般物価そのものが上昇しているだけでなく、「日本人側の目線が下がっている」事実にも目を向けるべき、ということを指摘したい。
下の【図表1】は円の「名目実効為替相場(NEER)」と「実質実効為替相場(REER)」をデータの存在する1964年以降について比較したものだ。
実行為替相場は、名目・実質いずれも、ある国の通貨の「相対的な」実力を測る指標。ここでは読者の理解を促すため、日本を主体とした場合の解説をしておこう。
NEERは主な貿易相手国の通貨に対する日本円の価値もしくは競争力を表し、それに各相手国との物価格差を加味したのがREERと位置づけられる。
【図表1】から一目瞭然のように、円の実行為替相場はここ数年、名目・実質いずれも下落基調ながら、NEERが2007年頃と同水準にあるのに対し、REERのほうは半世紀以上前の1971年頃と同水準という相違がある。
パンデミック直前(2019年12月)と2023年4月の数字を比較すると、NEERは16.6%下落、REERは24.6%下落で、8ポイントほどの開きが見られる。
さらに、年初来の変化率で見ると、NEERの0.1%上昇に対し、REERは1.4%の下落で、そのように最近は両者のかい離が際立つようになっている。
繰り返しになるが、NEERに物価格差を加味したのがREERで、例えば海外(の主な貿易相手国)より日本の物価が低い状況が続いた場合、その分だけ「日本の通貨が実質的に安くなった」と見なされ、円のREERを下落させることになる。
したがって、下落が際立つ最近の円のREERは、海外のほうが日本より高い物価上昇に直面していることを示唆する。
なお、海外では一般物価に追随して名目賃金も相当に上昇している。日本でも最近は賃金および物価上昇が確認されているものの、海外ほどではない。
海外に劣後する日本の賃金環境は、同時に、日本が海外から財を購入する際の購買力の低下を意味しており、その分だけ円が実質的に安くなっているのだから、REERの下落・低迷に寄与していることになる。