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朝鮮人、強制連行の歴史。 タチソ

朝鮮人、強制連行の歴史。  タチソ

https://www.youtube.com/watch?v=w9gl7Ap0ESI

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引用:朝日

戦争遺跡「タチソ」をガイドする橋本徹さん(81)支えにした言葉は

武田肇
 
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太平洋戦争末期に作られた地下軍事施設「タチソ」をガイドする橋本徹さん(撮影のためマスクを外してもらいました)=2021年10月23日、大阪府高槻市成合、武田肇撮影
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 【大阪】ヘッドライトがトンネルの天井を照らすと、コウモリが飛び立った。足元には作業用トロッコの枕木の跡が見えた。77年前、太平洋戦争末期に作られた地下軍事施設「タチソ」は、時が止まったように静かだった。

 「滑りやすいので足元に気をつけて下さい」。ガイドの橋本徹さん(81)が声をかけた。10月23日、コロナ禍での中断を経て2年ぶりに開かれた見学会で、ヘルメット姿で参加者26人を先導した。

 「タチソ」とは「高槻地下倉庫」の暗号だ。現在は新名神高速道路の高槻ジャンクション・インターチェンジがある高槻市成合(なりあい)の山あいで1944年10月、陸軍が建設を始めた。本土への最終防衛線「絶対国防圏」の一角とされたサイパン島を米軍に奪われ、本土空襲が迫っていた時期。当初は大阪城内にあった中部軍の戦闘指揮所を移すため、のちには川崎航空機の戦闘機「飛燕(ひえん)」のエンジンを製造する地下工場と目的が変更され、稼働直前に終戦を迎えた。

 橋本さんがボランティアガイドとして強調するのは、当時日本統治下だった朝鮮半島から来た大勢の人々がここで、危険で過酷な作業に携わったという事実だ。

 終戦直後の米軍調査では朝鮮人労働者は約3500人。軍事史に詳しい塚崎昌之・関西大非常勤講師は、終戦直後の新聞が、朝鮮半島から高槻に「集団移入」した労働者約600人が一斉帰国したと伝えたことなどを根拠に、国の労務動員計画に基づき強制的に連れてこられた多数の人が含まれていたと指摘する。高槻警察署が特高警察などに報告した文書によると、就労は1日2交代で11時間労働。主食の配給は十分とされたが魚や肉類は皆無。皮膚病の疥癬(かいせん)が流行しても医療施設がなく、罹患(りかん)者は放置された。起工から半年で死者2人、負傷者151人を数えた。

 「ありのままの歴史を伝えることが、平和な未来を築く手がかりになる。それがガイドを続ける理由です」

 初めて参加した会社員、小倉夕香子さん(48)は「地元にこんな歴史があったなんて」と驚いていた。

 「タチソ」を知ったのは製薬会社に勤めていた40代半ば。地道に証言を掘り起こしていた郷土史家の宇津木秀甫(うつきしゅうほ)さん(2017年死去)の活動に感銘を受け、退職後、本格的にガイドを始めた。支えにした言葉は「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」と戦争責任のありようを問うたワイツゼッカードイツ大統領の著名な演説だ。

 タチソは近年、大雨による倒木で入り口がふさがれ、内部の崩落が進むなど保存が焦眉(しょうび)の課題だ。だが、それ以上に懸念していることがある。

 今秋、中・高の教科書を発行する複数の教科書会社が、閣議決定された答弁書を踏まえ、戦時中に朝鮮半島の人々を日本で働かせた史実に関して「強制連行」という用語を使わないとの申請を文科省に出し、承認された。「歴史が為政者の都合で書き換えられていく」と危機感を抱いた。

 橋本さんは言う。「このままではタチソが朽ちる前に、歴史が先に消えかねない。足腰が弱っても引退できません」武田肇

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 はしもと・とおる 1940年、名古屋市生まれ。5歳のとき、空襲で空が赤く染まるのを見た。縁故疎開吹田市に移り住み、結婚後の74年から高槻市在住。2007年から市民団体「高槻『タチソ』戦跡保存の会」事務局長。これまで外国人を含めて2千人以上をガイドしてきた。