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東京オリン招致のアドバイザーとして、ペレのサッカー大会で名前をあげた高橋治之を呼び入れたのは安倍チン三だった。それから、招致の恥部を実行した男、治之は、五輪組織委で裏金集めに勤しんだ。チン三おっ死んで、五輪の膿が吹き出し、次々に逮捕だ。
引用:文春オンライン
「絶対に捕まらないようにします」元電通“五輪招致のキーマン”への安倍晋三からの直電
配信
司直の手に落ちた「五輪招致のキーマン」と「長銀を潰した男」――。文藝春秋10月号より、ジャーナリスト・西﨑伸彦氏による「 高橋治之・治則『バブル兄弟』の虚栄 」の一部を掲載します。
五輪招致のキーマンとなる男は、当時の状況について知人にこう話している。
「最初は五輪招致に関わるつもりはなかった。安倍さんから直接電話を貰って、『中心になってやって欲しい』とお願いされたが、『過去に五輪の招致に関わってきた人は、みんな逮捕されている。私は捕まりたくない』と言って断った。だけど、安倍さんは『大丈夫です。絶対に高橋さんは捕まらないようにします。高橋さんを必ず守ります』と約束してくれた。その確約があったから招致に関わるようになったんだ」
五輪のスポンサー選びを担う専任代理店=電通ほか
高橋氏は招致委員会のスペシャルアドバイザーに選ばれた。
高橋氏が、ペレの引退試合を成功させた年、弟の治則氏は日本航空を辞め、電子部品を輸入販売していた「イ・アイ・イ」(EIE)に入社する。日本教育テレビ(現テレビ朝日)の取締役だった高橋兄弟の父、義治氏が、EIEの再建を頼まれ、社長に就任。治則氏は副社長として実業の世界に足を踏み入れた。
治則氏は、日本航空時代に“北海道の政商”と呼ばれた北海道テレビの創業社長、岩澤靖の次女と結婚。結婚披露宴には後に首相に就任する三木武夫や福田赳夫ら大物が挙って出席し、政治家志望だった彼は次第に政界に人脈を伸ばしていく。
EIEは、円高の追い風に乗り、危機を乗り切り、業績は上向き始めた。そして治則氏は、その手腕を見込まれ、82年に協和信用金庫の立て直しを依頼されるのだ。
山口敏夫:私はノリちゃん(治則氏)もハチ(治之氏)もよく知っていますよ。ハチは電通で派手にやっていましたけど、あれはEIEのカネでうまくやっていただけ。兄弟は全然性格も違います。政治家とメシを食う時にはノリちゃんを呼んでいろいろ紹介しました。安倍晋太郎とは以前から関係があったようでしたが、私のお陰で仲良くなった」
その後、協和信金トップの背任事件などもあり、実績を残す治則氏は非常勤理事から副理事長へと取り立てられた。そして85年5月、協和信金から改名した東京協和信用組合の理事長に就任する。のちに85年は「バブル元年」と言われるが、金融機関を手中に収めた治則氏は、狂乱のバブルへと突き進んでいく。
彼はその後、メインバンクとなった長銀からEIEインターナショナルに湯水の如く注ぎ込まれた融資を元手に、ゴルフ場開発やリゾートホテルの買収に手をつけた。サイパンの「ハイアット・リージェンシー・サイパン」を42億円で手に入れると、オーストラリアでは、「リージェント・シドニー」を130億円、「ハイアット・リージェンシー・パース」は120億円で取得。2機のプライベートジェットで世界中を飛び回り、香港、ミラノ、ニューヨーク、タヒチなどでも次々とホテルを買い漁った。グループの資産は1兆円を超えた。