コロナ禍が沖縄の人々の生活に襲いかかる。悪の枢軸自民盗は、沖縄予算を減らしリベラル県知事滅亡にいそしむ、沖縄人を痛めつける。なんなんだ!
引用:毎日
共働きで月収17万円 母、再びよぎった夜の仕事 コロナで沖縄は今
沖縄県の子どもの3人に1人が貧困状態にある――。そんな調査結果を2016年に県が公表して6年がたつ。深刻な沖縄の子どもの貧困は今も解消されないどころか、新型コロナウイルスの感染拡大による影響で厳しさを増す。11日投開票の知事選では各候補が子育て支援策を打ち出すが、背景には沖縄特有の産業構造の問題もあり、解決は容易ではない。 ◇子供2人、夫婦の月収は17万円程度に 夫、子ども2人と沖縄本島中部で暮らす30歳の女性は約半年前まで、暮らしの先行きへの不安で眠れない日々を過ごした。新型コロナの影響で手元にはわずかなお金しかなかった。 元々、生活は不安定だった。建設現場で働く夫の収入は日当1万円。工事が少ない時期もあり、手取りが20万円を超えた月はほとんどなかった。女性も2人の子どもを保育園に預け、パート勤務で家計を支えた。 そんな生活はコロナ禍で更に苦しくなった。現場で感染者が出るたびに夫の仕事は休みになり、保育園で感染者が出たり、子どもが体調を崩したりすると、女性も仕事を休まざるをえなくなった。収入は夫婦合わせて17万円程度に減り、生活費や家賃、光熱費などの支払いで消えた。 猛暑でも冷房はつけず、卵しか具がないラーメンを食べ、保育園で必要な子どもの体操着はリサイクルショップで買った。「お金がないから、ごめんね」。心の中で何度も謝った。
◇「夜は出たくない。でも…」 女性は母子家庭で育った。母は夜になると、姉と女性を家に残して仕事に出た。女性は中学卒業後、アルバイトや季節労働などを転々とし、キャバクラで働いたこともあった。「生活に余裕があれば勉強も楽しかったはず。高校や大学に行ければ、賃金の良い仕事に就けたかもしれない」。そう思う。 前の夫と離婚して実家に戻り、夜の仕事の支度をしていると、当時1歳半だった娘がしがみついてきた。自身が子どもの頃に感じた寂しさを思い出した。その後、夜の仕事はやめたが、コロナ禍で生活が困窮した時は再び歓楽街で働くことも考えた。「子どものために夜は出たくない。でも、生活が立ち行かなくなったら……」。不安に襲われた。
◇子どもの3人に1人が貧困状態 沖縄は1972年の日本復帰まで27年間、米国に統治され、多くの土地が米軍基地として奪われた。そのため製造業が育たず、サービス業を中心に非正規雇用が多い産業構造となっている。最低賃金も、1人当たりの県民所得も全国ワーストで、経済力が乏しい家庭が多い。 県が16年に公表した15年度の調査では、平均的な所得の半分に満たない家庭で暮らす18歳未満の子どもの割合(相対的貧困率)は29・9%。全国平均の約2倍で、3人に1人が貧困状態にあった。国や県はそれ以降、生活が厳しい家庭の子どもたちが放課後などに集まり、地域の人々と一緒に食事や勉強などをできる「子どもの居場所」の整備や運営支援、基金による就学援助の拡充などに取り組んできた。 相対的貧困率は18年度の調査で25%とやや持ち直したが、コロナ禍の21年度の調査では28・9%と悪化した。貧困世帯の6割が新型コロナ禍で収入が減ったとしている。
◇「沖縄で普通に暮らしたいだけなのに…」 知事選では、立候補した3人がそれぞれ、子どもの貧困対策として、教育費や保育費、子どもの医療費の無料化、支援の拡充などを公約に掲げる。 子ども食堂などに食材を届ける「おとなワンサード」の富田杏理代表は週3回、宜野湾市の公民館で子どもたちに夕食やおやつを振る舞い、子どもの居場所づくりに取り組む。集まってくる子どもの中には、育児放棄のような状態で育った子や家事や家族の面倒をみる「ヤングケアラー」とも思える子もいる。 富田さんは「親や社会全体が困窮し、その影響が子どもに及んでいる」と指摘し、親の世代も含めた貧困対策や、民間による支援を継続できるための行政の体制拡充を求める。 長引くコロナ禍。冒頭で紹介した女性は「生活が苦しくなると、『私のせいで』と自己嫌悪に陥ってしまう」と吐露する。この半年、親族からの借金で家計をやりくりしてきた。夫の仕事も一時に比べれば安定して入るようになったが、日々の生活で精いっぱいで知事選にまで目は向かない。「消費税も物価も上がるが、賃金は低いまま。一人親世帯への支援は拡充されているけれども、共働き世帯も厳しい。住み慣れた沖縄で普通に暮らしたいだけなのに……」【宮城裕也】