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柳瀬房子さん、岩沢座長 「第三国定住に関する有識者会議」の第7回 ...

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/nanmin/yusikishakaigi/dai7/yousi.pdf

 

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○岩沢座長 「第三国定住に関する有識者会議」の第7回会議を始めさせていただきます。
本日は、中井委員が欠席されています。
本日は、資料1の議事次第にありますとおり、条約難民、難民支援団体等の方からヒア
リングをさせていただくということで、専門家及び元条約難民の方にお越しいただいてお
ります。
また、第三国定住難民と同じカレン族の方にもお越しいただいております。早速御紹介
させていただきます。
国際 NGO として国内外における難民支援のほか、地雷除去等、幅広い分野で御活躍され
ています、難民を助ける会会長の柳瀬房子様です。
続きまして、第三国定住難民と同じカレン族で、カレン語の通訳者を務めるとともに、
在日カレン民族コミュニティーでも活躍されていらっしゃいます NAW THWAI PAW 様です。
在日ビルマ市民労働組合代表の TIN WIN AKBAR 様は、電車の都合で遅れられていますの
で、到着されましたら、改めて御紹介させていただきます。
それでは、本日の配付資料について、事務方から説明をお願いします。
○中川参事官 配付資料は目録記載のとおり、2点ございます。
資料1が、本日の議事次第でございます。
資料2が、柳瀬会長作成の資料です。
これらの資料は前回同様、今後の会議においても机上配付資料と設置をさせていただき
ます。よろしくお願いいたします。
以上です。
○岩沢座長 ありがとうございました。
それでは、議題1ヒアリングに入らせていただきます。
まず、難民を助ける会会長の柳瀬様から御説明いただきます。柳瀬会長、どうぞよろし
くお願いいたします。大変恐縮ですが、時間の都合上、10 分程度でお話しいただきますよ
うお願い申し上げます。
○柳瀬氏 皆さん、こんにちは。難民を助ける会の柳瀬でございます。
随分存じ上げていらっしゃる方もおりますので、大急ぎでお話をさせていただきます。
難民を助ける会はちょうど 33 年目の活動に入りました。私自身も設立準備委員会の時
からこの会に関わっておりまして、現在に至るまでボランティアで、無給で持ち出しのよ
うな形で今でも会に関わっております。主に国際協力 NGO でございまして、現在は 11 カ国、
そして、15 の事務所に国外に大体 20~30 名、国内に 60 名くらいの有給スタッフがおりま
す。この人達に全部お給料を払っていると思うとぞっといたしますけれども、役員等は皆
ボランティアで活動しております。海外の話はともかくといたしまして、できたら今日は
日本国内の活動についてお話を集中的にできればと思います。
難民を助ける会の目指したものの一つに、声なき声を聞こうと決めました。つまり難民
問題について、国際機関や様々な団体、あるいは政府がいろいろと活動しているところの
 
 
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隙間にどうしても救えない方々がおられる。その方達を何とかしたいということで始めま
した。当団体はよき不平等をしましょう、日本に定住された方が何でも日本人と同じとい
うわけではなくて、差には差をもってお手伝いしようと考えました。ある人は学校を続け
るために毎月3万円必要だけれども、ある人は1万円でいいといった場合には、定住年数
等、様々な条件があっても、それぞれ一人ひとりの立場を尊重して、働いてくれる人がい
るのか、それとも日本で手伝ってくれる親戚がいるのか。そういったことも考えながら、
悪平等にならないように心がけて支援していこうということをずっと続けてきております。
次に、提案と実行と書いてありますが、提案は難民条約に日本が早く署名して加入する
ということを随分提案し続け、それを実際に行ってまいりました。その他、様々なものを
提言、というのも恐れ多いのですけれども、御意見をいろいろと申し上げて、例えば地雷
の廃絶運動に対してもそういったことで活動し続けてきておりました。
様々な活動が日本社会の呼び水になるように、一つ一つの活動を丁寧にこなしてきたつ
もりでございます。当然、国際的な立場から、諸外国からバーデン・シェアリングを促さ
れて、様々なプレッシャーもございますけれども、そういったときにも日本からの発信、
日本人としての発信を常に心がけてきて、活動を続けております。
そもそも難民という言葉が初めて使われたのが 1943 年に国語辞典でとありますが、そ
の後、現在でも難民という言葉がとても偏った形で使われて、ただ単に困難にある方とい
う形で使われてしまっているのがとても残念で、本来の難民の意味に戻すべく、努力もし
てきております。
1979 年 6 月 27 日、28 両日に開催された東京サミットの2カ月前に、日本は「インドシ
ナ難民の定住対策について」という閣議了解を決め、今日の難民対策となる基礎を、とな
るわけですが、常に外圧によって日本の難民政策が次々と変わってくるというのがとても
残念だと思います。当時、インドシナ難民問題 官・民合同連絡会議」をつくりました。
当時はまだ日本の難民問題にかかわっているのは、天理教とかキリスト教の宗教団体が一
生懸命やっていらっしゃいましたが、あとは赤十字関連しかなくて、私どものように政治
も宗教も思想的にも全く中立な団体はございませんでした。そういった形で難民を助ける
会が活動を続けてきました。
日本に定住した難民の方々の、自立の支援をしたい。奨学金を出して、日本に早く定住
していただく。あるいはきちんと就職をしていただく。そういうことを心がけながら、難
民を助ける会の当時からインドシナ難民の奨学金をずっと出しておりました。参考資料で
資料をつけてございますけれども、一番多いときは毎年 200 人くらい、少ない時も、50 人
くらい、一人につき、年間 6 万円から 80 万円余りの支援を 33 年間し続けてきています。
現在は大体 40 名、50 名くらいですけれども、これはインドシナ難民を助ける会が難民
を助ける会になり、難民を助ける会が国際協力のほうの分野において活動し、日本国内の
定住した難民の方を初め、外国出身者の方達の自立を支援するための社会福祉法人さぽう
と 21 という団体を 20 年前に設立いたしました。姉妹団体という形で現在も同じビルの別
 
 
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のフロアに事務所がございまして、しょっちゅう連絡をとりながら活動しております。私
自身が難民を助ける会の会長とともに、社会福祉法人さぽうと 21 の理事、評議員として活
動しております。
難民を助ける会の財政は発足当時から 10 年間は全く公的な資金がなく、全て個人の方
達の御支援で成り立ってきております。その方達の支援が今もベースになっておりまして、
やはり自己資金をきちんと持ちながら会の活動の運営をできることが本当に大きな活動の
源にもなっております。そういったお一人お一人の支援をもとにして、助成金をいただい
たりしながら、会の活動を続けてきております。
さぽうと 21 は年間 5,000 万円くらいの資金で活動しておりますので、本当にスタッフ
が2名、3名、アルバイトの人が3名、日ごろは 50~60 名の日本語の先生が毎週土曜日に
事務所に来てくださって、一人一人の日本語あるいは勉強の補完教育をしております。今、
小学生の方も通っていらっしゃいますし、50 歳以上の方も勉強に通っております。さぽう
と 21 のほうには、こちらにお持ちしましたけれども、日本語を勉強するための各国語で資
料をつくりまして、全部で 12 カ国でしょうか、パソコンからダウンロードすれば、きちん
と日本語の勉強の特別な資料がつくれるようになっており、どなたでも勉強しようと思え
ばできるような形で支援をしております。
今回の第三国定住の問題に関しまして、申し入れがないというのはとても残念だったと
思いますが、私が今回試験的にこういう方達を受け入れるときに、どういう人がというこ
とを相談された場合には、私としては例えば御家族に病人の方がいる御家族、あるいは単
身の方で勉強をしたがっている人、そういう方達をぜひ日本に受け入れることができない
かということを提案したいと思っておりました。全く聞かれませんでしたので、そういう
ことにはなりませんでした。
今回の資料に付けましたが、ユー・カナラちゃんとおっしゃるインドシ