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rakuseijin.exblog.jp「戦争を煽った小林秀雄」、賛同します。

辺見庸さんの『1937』で、小林秀雄批判を読んでいる。そのとおりじゃないかと思います。

引用:

世の中おもしろい・凡人の記録

2018年 04月 05日

戦争を煽った小林秀雄

 
戦時中戦争を煽った小林秀雄(1902~1983)は戦後、「僕は無知だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と開き直った。時流に迎合した文化人はほかにもいたが、戦後はそのことを恥じるがごとく沈黙した者が多い中で、ここまで鉄面皮をかくさなかったのは小林だけであろう。言葉を操ることを生業とする小林にあっても、自分の揚言と結果(敗戦)の差があまりにも大きくて、その差を埋める言葉を見出すことが出来なかったのである。
 
雑誌「改造」1937年11月号に掲載された小林の『戦争について』を、辺見庸著「1☆9☆3☆7」(河出書房新社・2016年刊)のなかの引用から転載。
「観念的な頭が戦争といふ烈しい事実に衝突して感じる徒な混乱を、戦争の批判と間違えないがいい。気を取り直す方法は一つしかない。日頃何かと言えば人類の運命を予言したがる悪い癖はやめて、現在の自分一人の生命に関して反省してみる事と、さうすれば、戦争が始まってゐる現在、自分の掛替えのない命が既に自分の命ではなくなってゐることに気が付くはずだ。日本の国に生を受けてゐる限り、戦争が始まった以上自分の生死を自由に取り扱うことは出来ない。例え人類の名に於いても。これは激しい事実だ。戦争といふ烈しい事実には、かういふ烈しいもう一つの事実を以て対する他にない。将来はいざ知らず、国民といふものが戦争の単位として動かすことが出来ぬ以上、そこに土台を置いて現在に処さうとする覚悟以外には、どんな覚悟も間違いだと思ふ。
 
「銃をとらなければならぬ時が来たら、喜んで国の為に死ぬであろう」「日本に生まれたといふ事は、僕らの運命だ」「自国民の団結を顧みない様な国際正義は無意味である」「僕はただ今度の戦争が、日本の資本主義が受ける試練であると共に日本国民全体が受ける試練である事を率直に認め、認めた以上、遅疑なく身に受けるのが正しいと考えるのだ。この試練を回避しやうとする所謂敗戦思想を僕は信じない。極言すればそのんなものは思想とさえ言えないのだ。
 
これは昭和12年(1937)、日中戦争時のものだが、同16年(1941)の太平洋戦争開戦時には、「帝国陸海軍は、今八日未明西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」という大本営発表を、
一種の名文である。何時になく清々しい気持ちで上京、文藝春秋社で、宣戦の御詔勅の放送を拝聴した。僕等は皆頭を垂れ、直立してゐた。眼頭は熱し、心は静かであった。僕は拝聴してゐて、比類のない美しさを感じた。僕は、爽やかな気持ちで、そんなことを考え乍ら街を歩いた」と賛美し、
 
真珠湾爆撃に始まる帝国海軍の戦果発表には、
「僕を驚かした。僕等は皆、まるで馬鹿の様に子供の様に驚いてゐるのだ。だが、誰が本当に驚くことが出来るだろうか。何故なら、僕等の経験や知識にとっては、あまりに高級な理解の及ばぬ仕事が成し遂げられたといふ事は動かせぬではないか。名人の至芸と少しも異なるところはあるまい。」(この項・Wikipedia
真珠湾奇襲攻撃を、武者小路実篤に負けじとばかり『名人の至芸』と称揚している。
 
「僕は無知だから」と言うのはもちろん小林の本音ではない。プライドの高さが反省や謝罪を許さないのである。こういう屈折したもの言いでしか取り繕うことができないところに、この知識人のひ弱さが現れている。

小林は、戦争(から受ける試練)を回避する者を「敗戦思想」と呼び、そんなものは「思想」とは言えないとまで断じた。加藤周一「日中戦争が中国侵略戦争であるかないかということに彼(小林)は興味がない。興味があるのは、例えば自分を捨てて国に尽くすとか、その勇気とか決断力です。決断がいったい何を社会に、歴史に及ぼすかということにはあまり関心がない。決断そのものを評価する。小林さんの限界です。」と評するとおり、時流に迎合し、「戦争というもの」を浅薄で軽薄なレベルでしかとらえられない小林の思考こそ、「思想」とは言えまい。