コロナ禍が教えた、強欲資本主義に代わる生き方
宇沢弘文ー社会的共通資本、齋藤こうへい-コモン主義
引用:文春オンライン
“いらない労働”があふれる社会でどう豊かさを取り戻すか
図らずもコロナ禍で露呈したのは、医療・福祉をはじめとするエッセンシャル・ワーカーの重要性と、私たちの社会はあまりにも「いらない労働」が溢れていたという事実です。コストカットを極限まで進めてきた結果、マスクのような生活必需品は自国でつくる余裕がない一方で、いらないものばかりつくって広告で消費を煽ってきたことが明らかになった。 たとえば人通りが少なくなって渋谷ハチ公口のスクランブル交差点の広告がなくなっても、コロナ禍において誰も困らなかった。一等地のエキシビションに広告を掲出するとなれば多額のお金がかかって、モデルの出演交渉から映像制作まで多大の労力やエネルギーを要するでしょうが、広告がなくなっても社会はまったく困らない。オリンピックも同じです。でも、もしゴミ収集の人がいなかったら非常に困るし、医療従事者や介護・福祉に携わる人が手を止めてしまったら、社会は破綻します。 そういう仕事は得てして低賃金の労働ですが、私たちが都合のいいときだけ「彼女たち大事だよ!」と言うのではなく、積極的に支援し、社会全体で人間にとって本質的に必要不可欠なものを中心的につくる経済に移行する必要がある。いま、本当の意味での効率化やイノベーションを進めるべき時が来ていると思います。
――社会モデルの大転換が必要ということでしょうか